コメントにおへんじ

 先日、いただいたコメントの中にこんなものがありました。

「Miss Rain」という超絶な名曲

y22.hatenablog.com

 随分前の記事なんですけれども…。
 その記事に、最近コメントをいただきまして。

そば
二年ほど前に公式からサルベージ?した音源がありました
私の環境ではmpc-hcでしか聞けませんでした

 公式から、サルベージ!
 出来たんですね…。驚きです。
 そもそも、当時の公式サイトに載っていたのは、mp3ではなくて、もっとファイルサイズの小さいリアルオーディオ(.rmとか)形式だったような記憶もあります…。1999年当時でしたのでね…。
 なので、今聴くとなるとハードルが高いわけで…。
 コメントのGoogle driveに載っているデータを参照しても、私には上手く再生出来ませんでした…。うーん。mpc-hcでも、うちでは無理でした。コーデックがおかしいのでしょうか…。
 私の場合、すぐにローカルのflacデータがすっと出てくるのでそっちを聴きましたけれども、うーん。
 flacやmp3も、フォーマットとしていつまで持つかな…と、思ってしまいました。

 

 

ICQ

 ICQというものをご存じですか。
 「I seek you」の短縮形でして…。
 …。
 このあたりの説明は、ウィキペディアでも見てもらうことにしましょうか…。

https://ja.wikipedia.org/wiki/ICQ

 Wikipedia、便利ですね。(ものによっては、記述内容がうっすいこともありますけれどもね…)(ICQの項も、そんなに記述が厚くはない)
 というわけで、まあ、要はインスタントメッセンジャーでした。
 IDが数字なんですけれどもね。ユーザー名は任意に決められますが、数字のIDは全世界で順番に振られていった数字でした。
 「私のICQのID、7桁なんですよ。」
 …。と言うと、今から20年前なら「えっ! すごい! けっこう昔からやっているんですね」と言われたはずなんですけれども、もう今はその20年後ですので「ふーん?」という感じでしょうか…。
 とにかく、そうですね。1998~1999年頃がピークだったのでしょうか。みんながみんな、ICQをやっていましたね。色々なことがありました。
 で。
 それから20年くらい経ったのですが…。
 私は、自分のIDとパスワードを覚えていましたので、スマホ版のICQアプリ(そもそも、あるのかよ! というツッコミを入れましたけれども)をインストールして、ログイン!
 あの頃親しかった皆さんが、リストにずらっと並んで!
 …いましたけれども、オンラインになっている人は誰ひとりとしていませんでした。ですよね。

 20年後のTwitterの姿なのかもしれません。

 

ADSLの頃

 ブロードバンド。ブロードバンドは憧れでした。
 1999年頃に、わりと実用的なADSLのサービスが始まったんですよね。
 長野県が最初でしたっけ…?
 (そのあたりは、Wikipediaでも見ていただくとして。きっと詳しく載っていると思います)
 家に居ながらにして高速なインターネットを楽しめる、というのは、まさに夢そのものでした。
 当時、中の人は東京に住んでいましてね…。
 東京だったらすぐにADSLの恩恵にあずかれたのではないか、と思われがちですけれども、東京23区内でもエリアが拡がるのに結構な時間がかかりました。
 最初、ADSLが使えたのは、山手線の内側…の、ごく一部でした。
 ところが、当時のお友達の家がそのエリアに入っていまして。その方はもう、大喜びで契約をしていましたね。なんかもう、本当にうらやましかったです…。
 私が住んでいた場所は23区内でも外側のほうでしたので、エリアに入るのにそれから1~2年は掛かったんじゃないでしょうか…。
 そうこうしているうちに、ネット上で知り合ったコミュニティも崩壊し、結局のところ、「あの人間関係はナローバンドならではのものだったのか~」と思うようになりました。
 でも、そんな感じですよね…。
 ADSLですら、もう、超高速のインターネット、という感じでした。
 今はもう、恵まれすぎていますが、もうちょっと速い方がいいかな、とはいつも思います。

 

 

けいじばんサービス

 前回、ホームページについて書いたんですけれどもね。
 ホームページがあるだけでは、何らの交流も出来ないじゃないですか。管理人にメールを出すくらいしか出来ないという。
 なので、今から18~19年前には様々な掲示板サービスがありました。
 プロバイダーのホームページサービスがCGIに対応していれば、独自に掲示板を設置出来たんですけれどもね。当時は、CGI対応で容量も大きく、かつ安価で、というとなかなかそういうところはありませんでした。「さくらインターネット」なども、もうありましたけれどもなかなか知名度を浸透させるまでに至っていなかったような。
 というわけで、レンタル掲示板、ということになりましょう。
 最初は「インタラクティア」という掲示板が使い勝手がよかったようで、結構な人気でしたね。しかし、あっという間にキャパシティをオーバーしてしまい、新規募集停止、ということになった記憶があります。
 そこで次に多くの人が目を付けたのは「tcup」です。今の「teacup」。今もありますよね…? 今もある、という、そのことだけで奇跡のように感じられますけれどもね。
 そのtcupの掲示板、非常に使いやすく便利でしたので、様々な交流がなされたところです。
 もっとも、無料ホームページサービスのジオシティーズジャパンなのですが、こちらにも「ジオブック」という掲示板のようなサービスがありました。これは…。けっこうカスタマイズは出来たんですけれども、その仕様があまりよくなかった、というか、気に入られなかったような感じで…。多くの人は外部サービスを使っていたように思います。

 今はTwitterだけ、という感じの流行ですが、なんかやはり味気ない感じもしますね…。

 

ホームページ

 今、もしかして、と思いながら書いているんですけれどもね。
 最近、比較的新たにネットをはじめた人って、もしかして「フレーム」のあるウェブサイトを知らないのではないか…と思います…。
 どちらかというと「インラインフレーム」ではなくて、普通の「フレーム」のことを話しているつもりなのですが、まあ、どっちでもいいです…。
 スマホの世の中ですから、今フレームがあっても邪魔でしょうがないですよね…うん。でもまあ、上手に処理すればフレームありでもどうにかなるのかな、という気はしています…。

 昔、私のウェブサイトがジオシティーズジャパンにあった頃は、普通のベタッとしたデザインだったように記憶しています。
 でも、A氏のウェブサイトはフレームありでしたね。トップページはフレーム無しで、そこから入っていくとフレームにメニューが入っているような、そんな、よくある当時のウェブサイトだったように思えます。
 E氏のウェブサイトも、結構特徴的でした。どっかのプロバイダーでしたっけ、そこのサーバーにあったような記憶があります…。

 昔の「ホームページ」というのは、今で言う「Twitterのアカウント」のようなもので、名刺代わりだったようにも思えます。
 冷静に考えると恐ろしい時代だったのですが。

 

管理者削除の頃

 今から19年前の2月24日のこと。
 FINAL FANTASY VIIの情報を交換する掲示板「アバランチのアジト」にて、管理者削除が多発する、ということが起きました。
 理由は、名前は伏せますがG氏による荒らし行為や迷惑行為だったと記憶しています。
 G氏は極めて特徴的な方で、まあ、今も特徴的な方のようです。それゆえ、嫌われた、というような感じでしょうか。それを察したG氏は更にブチ切れて掲示板を荒らし回る、という、そのような行動に出たようです。
 当時のログについては、この部分は再配布されませんでしたのでよくわかりませんが…。
 E氏やA氏一派と、G氏の、決定的な対立であったのは確かなようです。
 G氏は、当時住んでいた市の名前も、本名も、顔写真も、すべてG氏自らネット上で公開していましたからね。インターネット黎明期の当時とは言え、さすがにそれはやりすぎなんじゃないか、と思った人が多かったことでしょう。
 その後、G氏は表舞台から消え…たように見せかけて、現在も様々に活動をしておられるようですが。ある時はWikipediaの管理人なんかをしていた、という情報も聞いています。

 でも、どうなんでしょうね。なぜ当時、C氏が必死になってG氏を説得していたのか、私にはよくわかりません。「敵の敵は味方」理論もあやふやですし、単なるC氏の思いつきだったのでしょうか。
 仮にC氏がG氏を懐柔出来たとして、なんにも起こらなかったんじゃないかな、と思いますが…。

 これも、今思うに、結局E氏やA氏の側にも非がなかったとは言い切れない案件ですね。

 

 

カネの掛かったインターネット

 細かい記憶が定かではない部分もありますが。
 今思うに、学生の頃の春休みは本当に長くて、最高だったと思います。
 何でも出来ました。なんでも。

 そんなわけで、暇を持て余していたからこそ、あまりよからぬこと(いわゆる、「当時の」インターネット)に手を染めてしまったのかもしれません。
 例えば1998年当時を回想してみますと、インターネットの接続料金は、おおよそ3分10円。この後で3分8円とかそういうプランが出てきたような気がします。タイムプラスを契約して5分10円、とかそのような感じだった気がします。
 1時間、軽くインターネットを楽しむと、おおよそ200円(税抜/当時は消費税5%)です。
 当時のインターネットは、それはもう回線が細くて。33600bpsがメインの時代でしたので、画像を読み込むのにもものすごく時間がかかりましてね。結果的に、1時間なんてあっという間です。
 その料金に加えて、プロバイダーの料金がかかりましたからね。従量制のプロバイダーなんかもありまして、例えば1分6円という。1時間で360円ですね。
 結果、毎日ネットを楽しむと、ものすごい金額になるという…。少なくとも、従量制のプロバイダーを選ばないようにしないといけません。
 テレホタイムのみの接続だと、どうしても不足なんです。23時から8時の間だけ定額つなぎっぱなしで、何をしろと。それでも、当時は定額のインターネットというものに本当に憧れていましたけれどもね。
 結局、昨今このブログに書きましたように、情報を掌握する者が、対人関係をはじめ、様々な分野で勝利するわけでして。情報を掌握するためには、四六時中ネットにつないでいないといけない。でも、そんなお金はない。速度も遅い。
 一部の人に対する限られたインターネットの時代でした。