こう…
昔のように、多くの人たちがインターネットに日記を書く、ということもなくなりました。
でも、本当にインターネットにとって必要な情報は、我々のような「何でもない人」の書く、「何でもない文章」だと思っています。
結局、現状のような状態では、後世において「あの頃の記録が一切ない…」という状況が生じることは必至です。まあ、それでもいいのかも知れないんですけれどもね。
というわけで、今日はむかしのことを書く…。
なんていうのかな。
わたしは、こう…音楽を作るのが楽しかった時期がありました。誰かに聞かせる、ということでもなく、何か「SC-55」とか「SC-88」的な箱があれば、もう全部伴奏が出来て、歌を吹き込めばもう完璧に曲ができちゃうかもしれない! という、その感覚が面白くってですね。
でも、当時はボーカロイドもないし、歌のうまい人を探していました。
あるオフ会で、わたしはとある女性と会います。
…。かわいいですね。
その後、カラオケに行きます。
…。歌、うまいですね…。
もうね…。
そういう感じで、様々な紆余曲折があり(ここだけで半年ほど期間をすっ飛ばして結論)、彼女「ざらめさん」がわたしの曲を歌ってくれることになりました。
それが、secret eyes.というユニットの結成になります。
どうして当時はもうちょっとちゃんとした名前を付けなかったんだろう…と思うのですが、今は今でセンスがおかしいので、当時もこれが限界であった…はずです。
3作のSCDと、アルバム1枚を出して2000年の3月に(数人に惜しまれつつ)活動を終了します。
あれからもう24年…わたしもトシを取りましたし、今時、もうパソコンなしでポップスを組み上げるのは難しいのでは…と思います。世の中変わりました。
その後、ボーカルのざらめさんはどこかで何かこう、色々あり、あるいはなく…。
どこかで暮らしているのでしょう。わたしは全然知りません…。
その頃の曲は、どっかにアップしたような。どこだっけ…。ジオシティーズが消える前に対策したけど、どこなのか…。
あった。どうにもこうにも…。
secreteyes.blog.jp
今、仮に、もういちど何か誰かとバンドを組んだり、音楽グループを作るとしたら、どういう名前にするか…。
…
「ヨシミ22歳とザ・シークレットアイズ」?
なんか、こう…ムード歌謡ですよね。「いかりや長介とザ・ドリフターズ」「内山田洋とクール・ファイブ」的な。恐らく代表曲は「長崎砂漠」でしょう。
「ヨシミ22歳とシークレットアイズとしょうた11歳」?
「和田弘とマヒナスターズと松尾和子」的な。こうなると、何でしょうね。代表曲は…? 「応接間小唄」? しょうた11歳さん、実は歌がうまいのでは?
どうにもこうにも…要するにわたしは、歌う人を探している…。