設定が適当でも許されたい

 立春でございます。
 なんかよくわからないけれども、今度こそ完全に2016年という新しい年になったんじゃないでしょうか。
 …旧正月? それはまあ、いいとして…。
 うん…。
 なんか今年も1月2月と慌ただしいですけれども、いいことがあるように、と願っているところです。

 そんな、今日、気になったブログの記事はこちらです。

ひとりごとクリップ 2016年1月19日火曜日 設定

http://mad-bass-laughing.blogspot.jp/2016/01/blog-post.html

アニメでも映画でも小説でもなんでもいいんだけれど,見ていて,設定がガバガバなものでも許せるというか「細けぇことはどうだっていいんだよ!」って感じで見られるものと,なぜか小さな設定の違和が異常に気になってしょうがないものがある.なんなんだろうね?

 これ、なぜなのか、私も知りたいわあ…と思いました。単一の要因ではなく、複合要因の予感。でもって、要因の幾つかは読者側にその原因があるような気もします。
 できれば、ガバガバなものでも許されたいですよねえ、ええ。なかなかそれは難しいことなのでしょうか。気になります。
 これは、ちょっと難しいかも…。